2009年9月7日月曜日

codyブログ転載

Plum House(梅丘の家): 私がかかえる大きな問題

上の記事にコメントさせていただいていたが、続けて考えていきたいのでこちらに場を移す。
たぶんまとまりの無い考察になると思うがノープロブレム。

MIZUKIさんの悩みとは要約すれば
一、「パフォーマーに近いところで彼等を訓練するのが自分のすべき仕事か」
二、「演出をしたい、というひとが未だ現れてこない」
の二つのようだ

一、については、ウェルバ・アクトゥスのくくりにおいて、演者のトレーニングはもうオレじゃなくてバラさんなり他の人にやってもらった方がいいかな・・・とお考えになっていると取れる。
筆者はそれはそれでいいと思う。演出家と訓練師(?)は同じではない。


演出家を育てたい、このVerba Actusというジャンルにおいて・・・ということであればまだ時間が必要だろう。さらにいえば、既存の表現行為の具体的技術や経験も不可欠だと思われる。

筆者が思うのは
「戯作」 脚本をはじめ文章を紡ぐ事
「発語」 台詞として言葉を発する部分。
     テキストを手にした朗読でも芝居でも。
「所作」 あらゆる舞踏を含む、
     姿勢・視線・呼吸・四肢と体幹の挙動のコントロールと表現
「演奏」 専門的な楽器の演奏。即興で他者と遣り取りができることが条件。

この四つのうち、二つ以上に習熟していなければVerba Actusの演出はできないと筆者は考える。
MIZUKIさんは戯作・演奏のプロフェッショナルだ。

演出とは、「自分の見出した画を舞台上に具現化する為に皆を動かす人」だと思う。
もっとも抽象的な、高いレベルから鳥瞰しつつ、地上で具体的に動く人々を指図する。
本当は必ずしも特定の分野の専門家である必要はないかもしれないが・・・。


筆者自身は・・・上の四つ全て出来るようになりたいのだ。
とりあえずMIZUKIさん音楽教えてください。
僕ちんベースしか持ってませんが。

2009年9月4日金曜日

公演を終えて

初舞台を終えて、二日が過ぎようとしています。
微かな余韻と虚脱感を覚えています。
正直詳細なレポートとか今の僕ちんには無理です。MIZUKIさんにお任せしちゃおう。

「Kenji-宮澤賢治・音と光と土-」公演レポート(1)
「Kenji-宮澤賢治・音と光と土-」公演レポート(2)

このブログは関係者が好きに書き込むという趣旨ですが、外部の方、公演にお越しくださったお客様も御覧になられておいででしょうか。

この場をお借りしまして
製作及び出演で参加された全ての皆様
会場にお越し下さいましたお客様

ありがとうございました
もうあなた最高
嘘じゃないぜ

公演を終えて、一歩先生(主催・美術)のお嬢さんが経営されているカフェにお邪魔し打ち上げを行いました。あれほど御機嫌で酒を飲めたのは生まれて初めてかも。尺八のやのしくう師と歌手の和田由貴さんも参加されました。
途中盛り上がりすぎて警察に通報されたとか・・・身に覚えありすぎ。カフェスタッフと近隣の皆様申し訳ございませんでした。

宴の最中、美術で参加された書道・水墨画家の石川節人先生から、私個人にお褒め?お祝い?の言葉を頂戴しました。
「初期の稽古であんたが声(声量)出せずにいたのを見てて、凄い気持ち悪かったのよ。何というか自分を抑え込んじゃってるのが伝わってきてね。」「それが先月の稽古でどか~んと突き抜けちゃったのを目の当たりにして、いや嬉しかったねぇ。一歩さんと二人でよしよし、ってなもんよ。」

一歩先生からは駄目出しが!?
「会場で見ていて、お前のでかい声の衝撃は来たけど何言ってるか判らん。バラや樋口のはでかい声も小さい声も明瞭に聴こえる」「お前、クセックで修行しろ。バラや誰やらは嫌がるかも分からんが、この縁を得たことを最後のチャンスだと思え」
おおぅ。とりあえず今度のワークショップは参加させていただきます。

時間が経つにつれ、一人二人と舞台を共にした仲間たちを見送り最後は一歩先生とお嬢さん、ケンちゃん(一歩先生のお弟子・サラシを煽った扇風機担当)と私だけに。本公演について割りとシリアスな話をしたはずです。内容は忘れた。


月並みですが、終わってしまえばあっという間。
今脳裏を占めるのは、次は何をどうするか、そればかり。
独りで出来ること・やるつもりだったこと・やりかけのことが結構あったりする。

それと本公演で私個人が、舞台という一つの画の中でどんな事をしていたのかを確かめたい。
DVD上がるの楽しみにしております。


”中の人”の皆様、六日の反省会でまた会いましょう。

本公演にお越しのお客様、
また何処かで御目にかかれる事をお祈り申し上げます。


今泉 有貴(cody)