2010年12月31日金曜日

ウェルバ・アクトゥスとはなにか

ウェルバ(Verba)とは、ことば、音声、言語といった意味。
アクトゥス(Actus)とは、行為、行動、動きといった意味。私たちは「表現行為」という意味で用いる。

「ことば」を「表現」する行為としては、朗読、演劇、歌(音楽)などいろいろあるが、私たちは朗読を中心にかんがえている。
朗読は「すでに書かれたことば」を表現の材料として用いる。「書かれたことば」は文学作品であったり、朗読者が書いた詩であったり、あるいはその他さまざまなものであったりするが、それを手に持ってそのとおりに読む、ということにおいて、朗読は演劇などとは異なる。
ウェルバ・アクトゥスでは「朗読」という表現行為の「枠」を大きく広げようとしている。あくまで書かれた「ことば」から出発するのだが、行き着く先、すなわち表現の場においては、ことばが「身体化」「実体化」される。

ウェルバ・アクトゥスが「書かれたことば」を用いる理由は、「ことば」といういわば記号=バーチャルなものを、「表現」という身体=リアルなものに立ちあげていく、その過程を重要視するからである。
表現の過程において私たちは、できるだけ既成概念をリセットしたいと思っている。すなわち、「朗読はこうあらねばならない」とか、「ステージはこんな感じ」といったなんとなく思いこんでいるものを捨て、自由な発想であらゆるものを取りいれてみる。
かつては分類されていなかったはずの「ひとの表現」が、現代においては細かく分類され、ジャンル化されているが、それをゼロリセットし、再融合をめざす。音楽、演劇、ダンスといった表現ジャンルを取りいれることを試みる。文学や美術などからもインスピレーションを得ることを試みる。

これら異質な表現者が、おなじ場で互いにコミュニケーションを取り、融合した表現をおこなっていく。そのためには、個々の表現者の表現クオリティが高度であることが望ましい。そのために私たちはウェルバ・アクトゥスのワークショップという学びの場を作り、お互いに磨きあうことを継続的におこなう。
よく誤解されるが、表現クオリティを高めるというのは、なにか特別な技術を磨き、だれにもできないアクロバティックなことができるようになる、ということではない。むしろその逆といってもいい。私たちが成長、加齢の過程で身につけてしまった思いこみ、身体の癖,感受性の癖を自覚し、それらをリセットしていくこと。子どものようにフレッシュでリアルな感性を取りもどすこと。子どものように毎日驚きに満ちた時間をすごすこと。そのためにマインドフルネスを学ぶ。
表現の場においても、子どもが歌を歌ったり絵を描いたりするときのように、純粋な内的動機を発見し、その表現を人と共感・共有する喜びをめざすこと。
そのために必要なことは、こだわらずになんでも取りいれてみる。
原始、人が表現することを始めたとき(それは純粋表現とでも呼ぶべきものだっただろう)、歌、踊り,演奏、朗唱、ペインティングなどの「区別」を意識しながらおこなっていただろうか。ただ人は自分の望む方法を用いて表現することで、純粋に自分を他者に向けて伝えようとしたのではないだろうか。
ウェルバ・アクトゥスではその原初的な表現欲求を私たちのなかに再発見し、共有したいと願っている。ジャンルの壁を超越し、自由に融合しあい、異質なものが響きあう道を私たちは探す。

「異質なものが響き合う」とは、たとえばこういうことだ。
ダンスは言葉を(基本的には)使わないが、朗読と融合できないわけではない。ダンスは「身体運動」ということばをつむいでいるし、朗読は「テキストを読む」というダンスを踊っているともいえる。
ピナ・バウシュはダンサーに語らせるが、「語る」という行為そのものをダンスのひとつとしてとらえている証拠だろう。その地平において朗読者もダンサーであるといえる。
音楽は「演奏する」ことで物語をつむいでいるし、朗読は言葉で音楽を奏でている。
絵画も音楽的であったり、物語を語ったりするし、朗読もまた絵画を描くことができる。
このようにすべての表現は原初的表現衝動において、ジャンルを超え、融合して響きあうことはできる。

ウェルバ・アクトゥスの活動では、「公演」や「ライブ」などの表現の現場は最終ゴールではない。そこに至る過程そのものがウェルバ・アクトゥスの活動といっていい。
したがって定期的に開催されるワークショップが活動の中心になる。
ワークショップでは私たちが無意識に身につけてしまっている考え方や身体運用や感受性やコミュニケーションの癖を自覚し、リセットするために、いくつかの方法を用いる。
たとえばNVC(Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)というコミュニーション方法であり、またアレクサンダーテクニークという身体運用の方法である。またコンテンポラリーアートのひとつとして朗読をとらえる現代朗読の方法も用いるし,現代演劇の方法を使って身体作りをおこなったりもする。
これら学びの場であるワークショップは、日常生活と接続しているし、また表現の現場である公演やライブにも接続している。ワークショップで学んだこと/気づいたことを日常生活に取りいれれば、生活も変わるし、また表現も変わる。そのように両足で一歩ずつ階段を上るようにして表現/身体のクオリティを高めていく。その結果として、公演やライブでもクオリティの高いパフォーマンスが可能になる。
ダンサーがダンスという言語活動を高めるために毎日身体トレーニングを欠かさないように、ウェルバ・アクトゥスのパフォーマー(朗読者)もまた朗読というダンスの質を高めるために、日常でのトレーニングを欠かせない。

現代社会ではすべての表現ジャンルが細分化され、商業化されて、袋小路にはいりこんで行き詰まり、息苦しい閉塞感に包まれている。
その閉塞感を解放するには、異質なジャンルを再融合させ、ふたたび風通しをよくしてあたらしい世界の風景を呼びこむことしかない。
そう、世界は私たちが気づかないうちに、すでに風景を一新させている。私たちにその風景を見えなくさせている壁を取りはらい、広々と風通しのいい場所をふたたび作りたい。多くの人が共感を共有できる場所を作りたい。
それがウェルバ・アクトゥスの望みであり、目的でもある。
(演出・水城ゆう)

2010年12月14日火曜日

特殊相対性の女@名古屋ウェルバ・アクトゥス公演より抜粋

2010年12月11日、愛知県芸術劇場小ホールにておこなわれた公演「特殊相対性の女」から一部を抜粋してお送りします。
作・演出・音楽、水城ゆう。
出演は石村みか、野々宮卯妙。ピアノ演奏は水城ゆう。

なおこの公演に使われたテキスト全文(シナリオ)を「水色文庫」で公開しています。

2010年12月8日水曜日

「特殊相対性の女」の野々宮卯妙は「Ginga」にも出演する

野々宮卯妙は純粋培養の現代朗読パフォーマーといえる。
なぜかというと、まだ現代朗読協会が発足する前、漠然とした既製の朗読指導の方法に疑問を持った私が、徹底的に表現の基本原理に立ち返り、確認しながら再構築していった「現代朗読」の方法が、どこまで純粋に「既製の朗読指導を受けたことのないまっさらな者」に通用するのか、実験台となってもらったのが、野々宮卯妙だからだ。

初期の頃、げろきょにまだ多くの職業ナレーターやアナウンサー、商業声優が出入りしていたときには、野々宮もなかなか彼女たちのようにはうまくいかず(それはそうだろう、技術的なことを真似しようとしても彼女らのほうが何歩も先んじているわけだから)、いつも泣きながら練習していたものだ。
が、現代朗読の方法論と思想がはっきりしてきたころから、そして彼女もがんばってオーディオブックを収録したりライブに出たりするようになったころから、急にのびのびとしはじめた。
しまいには、いつどんなものが飛びだすかわからない個性的な朗読者ということで「テポドン野々宮」などというニックネームまでつけられるようになった。
いまでは個性的な表現力に加え、確かな技術も身につけて、たとえば、
「長年型にはまった朗読を続けてきたベテラン朗読者」
なんてのを演じてみせることすらできる。

今回の「特殊相対性の女」では、こちらもなにが飛びだすかわからないスリリングな女優・石村みかを相手に、一歩もひけを取らない読みを聞かせてくれるはずだ。しかも、野々宮はわざと「朗読者」を具現して固定位置で読むことになっている。圧倒的にパフォーマンスとしては不利な位置にいる。
それでもスリリングなパフォーマンスになることを、私は期待している。
また、彼女は「Ginga」のほうにも出演することになっていて、3ステージのかけもちだ。もっとも私は4ステージのかけもちだけど。
野々宮卯妙が出演する「特殊相対性の女」の詳細はこちら

(作・演出・音楽:水城ゆう)

「Ginga」に出演する嶋村美希子と照井数男

今回、急遽名古屋公演に出演が決まったげろきょ若手組のふたり。
ふたりとも昨年後半にげろきょのゼミ生になり、ふたりとも熱心に参加している。ふたりとも埼玉県人。それは関係ないか。
先月は愛知県豊明市までいっしょに行って、市民文化会館の大ホールでおこなわれた子どもたちへのイベントに参加した。また、養護施設の子どもたち相手の慰問イベントにも参加している。

照井数男は定期ライブである中野ピグノーズ「げろきょでないと」に無欠勤・前回参加で、めきめきとパフォーマンスの腕をあげてきている。
嶋村美希子はいわば「肉体派朗読パフォーマー」で、体当たりのパフォーマンスが魅力。もちろん若くきれいなお姉さんでもあるので、よくあるタイバン形式の音楽ライブに朗読で出演しても、自称アーティストのシンガーソングライターのお姉さんたちにひけを取らない魅力的な存在感を見せてくれる。
自分では「アイドル未遂」なんていっているが、実際にその手の事務所に所属していたことがあるとか、いまでも所属しているとか、そういうコである。
肉体派というだけでなく、彼女は耳がよく、音楽によく反応する。朗読の「意味」ではない非言語部分で、ピアノなど楽器とのコミュニケーションができる人だ。
それは照井数男もおなじことだ。

このふたりが加わったことで、名古屋の「Ginga」はグッと活気に満ちることになるだろう。フレッシュな彼らの元気に全員がよい影響を受けることはまずまちがいない。
嶋村美希子と照井数男が出る「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」の詳細はこちら

(作・演出・音楽:水城ゆう)

「Ginga」音楽隊のひとりとして出演する伊藤さやか

伊藤さやかともけっこう長い付き合いになった。2005年からの付き合いだ。
童謡や唱歌をあたらしくアレンジしなおして演奏してみたいと思っていたところへ、彼女を紹介してくれる人がいた。さやかは当時、〈ザ・ヌーカ〉というアマチュアのミュージカル劇団をやっていた。
そうか、まだ当時は彼女も20代半ばだったのか。
Oeufs(うふ)という音楽ユニットをふたりで結成して、活動を始めた。ライブをやったり、老人ホームに慰問に行ったり、『ゆりかごの歌』というアルバムを出したりした。
YouTubeで毎週配信という無茶なペースで、「うふTube」という番組を作ったりもした。
その後、さやかは一年弱のイギリス音楽留学を経て、今年の夏、帰ってきたばかりだ。
そしてOeufs(うふ)の活動もぼちぼちと再開している。

今回の「Ginga」公演には、Oeufs(うふ)として出てもらうわけではない。ソロ歌手として出演してもらう。
「Ginga」では「この河」という私のオリジナル曲、「星めぐりの歌」という宮澤賢治が作った曲、そして「ここへとつづく道」という私のオリジナル曲の3曲をフルで歌ってもらう。それに尺八(矢野司空さん)と馬頭琴(デリヘイ)、そして私のピアノがからむ。
国際色豊かな音楽隊だ。
それぞれの音楽性が異なっている。もちろん私と伊藤さやかの音楽性も違っている。そこがおもしろいのだと思う。
多様な個性がひとつの表現を作りあげていく。全体とディテールがともに生きている世界。私はそれが大切だと思っている。それが世界のありようそのものだと思うし、表現の世界もそうだろう。

昨年の「Kenji」もそうだったが、今回の「Ginga」も音楽劇といってもいいようなものかもしれない。
伊藤さやかが歌う「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」の詳細はこちら

(作・演出・音楽:水城ゆう)

2010年12月7日火曜日

「Ginga」に出演する窪田涼子

今回、ただひとり、大阪からの参加となる窪田涼子。
彼女との付き合いも、岩崎さとこに次いでけっこう長い。
窪田涼子にもまた、多くのオーディオブックをとってもらっている。夏目漱石『彼岸過迄』、筒井康隆『問題外科』『緑魔の街』、太宰治『お伽草子』、芥川龍之介『猿蟹合戦』『桃太郎』などなど。

またライブにもたくさん出てもらっている。
昨年は銀座アップルストアでの朗読ライブ「前略な・だ・草々」にも出てもらった。あのときは「緊縛朗読」をやってもらったのだった。
YouTube番組YouBunkoにも何本か出ている。最多出演かもしれない。そのたびに大阪から出てきてくれるのだ。

最近は名古屋の〈少年王者館〉にも劇団員として参加している。
オールマイティな人だが、とにかく奇抜で変なことにも果敢に挑戦してくれるのでありがたいし、おもしろい。いい意味で自分を捨てられる人だ。
今回の公演でも特異な役回りを引き受けてもらった。なにをやらかしてくれるのか、とても楽しみだ。
窪田涼子が出る「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」の詳細はこちら

(作・演出・音楽:水城ゆう)

「Ginga」に出演する岩崎さとこ

高校生のときに今村昌平監督の映画「楢山節考」でデビューしたという経歴の持ち主なので、役者歴は長い。
が、私との付き合いは朗読がスタートだった。
かれこれ10年近くになるかもしれない。
岩崎さとこには数々のオーディオブックを収録してもらっている。夏目漱石の『夢十夜』や『こころ』、林芙美子の『放浪記』といった大作をはじめ、織田作之助の『夫婦善哉』や『競馬』など、すぐれた朗読をたくさん残してくれている。
私にとって岩崎さとこは、映画俳優でも舞台役者でもない。秀逸な朗読パフォーマーだ。

私が演出したものには、現代朗読協会がNPO法人としてスタートしたときの旗揚げ公演ともいうべき「おくのほそ道異聞」に出演したもらったことがある。2006年春のことだ。
それまでにも小さなライブパフォーマンスはちょくちょくやっていた。
非常に反応性の高いパフォーマーで、独特の個性もある。ほっそりした小さな身体の女性なのだが、パフォーマンスでは大変大きく見える。
私としては彼女にもっと朗読に本腰を入れてもらいたいのだが、演劇や映画方面が本拠地だと思っているらしく、なかなかこちらへ来てくれないのがもどかしい。
朗読のほうが未開拓で、未知の表現ジャンルなので、岩崎さとこにも広大な可能性があるのにね。

それはともかく、今回はみずから名乗り出て「Ginga」に出てくれるという。
ありがたいことだ。
彼女にはちょっと不思議な役回りを受け持ってもらう。自由度が非常に高い役回りなので、いろいろ思いがけないことをやってくれるのではないかと期待している。
「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」詳細はこちら

(作・演出・音楽:水城ゆう)

「特殊相対性の女」の石村みか

女優・石村みかに最初に会ったのはいつだったろうか。
たしか、2年くらい前のことだ。場所は現代朗読協会が羽根木の家に移る前、活動拠点としていた豪徳寺のドルチェスタジオだったと思う。
安納ケン講師によるアレクサンダーテクニーク講座がおこなわれていて、そこに参加者としてやってきたのだった。
ある舞台のための演技でちょっとした悩みを抱えていて、それをアレクサンダーテクニークで解決してみようといろいろやってみていたことを覚えている。
その後、その舞台公演を観に行ったりした。また、彼女のほうから現代朗読協会に遊びに来てくれたりもした。

そんなこんなで、なんとなくのゆるい友だち付き合いが続いていたのだが、今年の9月に「特殊相対性の女」を初演することになったとき、朗読の野々宮卯妙の相方女優としてお願いすることになった。
小劇場を中心に、商業演劇にも駆り出されたりすることもあって、かなりいそがしい人なのだが、快く引きうけてくれた。
もともとは朗読台本なのだが、彼女はあくまで「役者」としてやりたいということで、テキストを全部覚えてしまった。つまり、セリフとして。読めばわかるが、どうかんがえてもセリフ的な文章ではない。それを覚え、また朗読の野々宮とかけあいで演じるというのは、相当な力ワザだ。

初演は下北沢のライブカフェでおこなわれた。
その模様のごく一部をYouTubeに公開した。
私が見込んだとおり、石村みかはすばらしい身体性を持った役者であり、自由を与えれば与えるほど輝く表現者だった。
このたびの名古屋ウェルバ・アクトゥス・アート公演の企画は、愛知県芸術劇場という小ホールではあるけれど300名がはいる空間でおこなわれる。ぜひともこの広大な空間に石村みかという「鳥」を放ってみたい。
私はそのシーンを夢想して、彼女に出演を打診した。
今回もラッキーなことに、快く出演を引きうけてくれた。
ご来場のチャンスがある方は、ぜひお見逃しないよう。
詳細はこちら

(作・演出・音楽:水城ゆう)

2010年11月29日月曜日

(演劇+朗読)×音楽=特殊相対性の女@愛知県芸術センター

2010年9月に東京・下北沢〈Com.Cafe 音倉〉にて初演をおこない、大きな反響を巻き起こしたコンテンポラリー・パフォーマンスが、名古屋に舞台を移してホール公演をおこないます。

少女と老婆がひとりの女優の体内を行き来する。
朗読と演技がひとつのステージ上で交錯する。
言葉と音楽が時間と空間を再構築する。
舞台を中心に活躍する女優・石村みかと、現代朗読純粋培養の朗読者・野々宮卯妙が、それぞれ異なるアプローチでオリジナルテキストに挑みます。
ランダムに映しだされる映像にも出演者と演奏が反応しながら進んでいきます。

脚本・演出・音楽:水城ゆう
出演:石村みか、野々宮卯妙
映像:藤原好昭、伊藤貴人
演奏:水城ゆう(ピアノ)

(演劇+朗読)×音楽=特殊相対性の女
・日時 2010年12月11日(土)15:30開演/14:30開場
・場所 愛知県芸術劇場(芸術文化センター)小ホール
・料金 前売2,500円/当日3,000円

※チケット購入はこちら

※お問い合せ:ウェルバ・アクトゥス制作実行委員会
電話・FAX 052-323-2593
Mail info.verbaactus@gmail.com

2010年11月26日金曜日

沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき

2010年3月に東京・中野〈plan-B〉にて初演をおこない、大きな反響を巻き起こしたコンテンポラリー・パフォーマンスが、名古屋に舞台を移してホール公演をおこないます。
「沈黙」と「朗読」という一見矛盾したテーマに取り組みながらも、終演後は多くの方から「驚くべき沈黙の豊穣さを発見した」というメッセージをいただきました。
そのオリジナルプログラムが、形を変えて名古屋のウェルバ・アクトゥスの舞台に登場します。
今回、あらたにクラリネットを加え、三つどもえのパフォーマンスへと変化をとげます。

脚本・演出:水城ゆう
出演:榊原忠美
演奏:坂野嘉彦(クラリネット)/水城ゆう(ピアノ)

沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき
・日時 2010年12月10日(土)19:30開演/18:30開場
・場所 愛知県芸術劇場(芸術文化センター)小ホール
・料金 前売2,500円/当日3,000円

※チケット購入はこちら

※お問い合せ:ウェルバ・アクトゥス制作実行委員会
電話・FAX 052-323-2593
Mail info.verbaactus@gmail.com