2009年8月13日木曜日

一(いち)コロスの過去のブログから、その二

つづき

はじめは古文をとつとつと読んでいく内容で考えていたが、たまたま青空文庫で目にした夢野久作の「悪魔祈祷書」を気に入ってしまいこれを第一弾とした。
古書店の老店主の一人語り(正確にはある客との対話での店主の発言部分のみが書かれている)、という体裁の作品で、なんというか素人のくさい一人芝居になってしまった。

表現上のことは置いて、録音・編集のことで思い出すまま書いてみるなら・・・
iPodにボイスレコーダーのデバイスを突っ込んで左手にかまえ、右手で原稿を持ち読みを録音していった。このデバイスが結構優秀だった為、所謂吹かれノイズだけでなく、舌がたてる音や座ってるベッドの軋む音、自宅近くを通過する新幹線の音までばっちり録音されるのだ。
後にフリーソフトのSoundEngineでしこしこそれらノイズ部分を削除してゆくのだ。他の機能はまるで使いこなせないくせに「切り貼り」だけは習熟した。

次こそ古文に挑戦、のつもりがまた夢野氏の「斬られたさに」を読み始めてしまい、またしても、否前作以上に気に入ってしまった。
台詞の端正さ。対話の美しさ。何より登場する主要人物が皆個性と魅力に溢れ、読後この作品がこの一編で完結してしまった事が残念でならなかった。あの結末しかなかったのでしょうか、夢野先生?

そして勢いだけでやり始めた。
iPodで快適に聴いてもらう、ということにかなり腐心していたと思う。
iPodの場合「歌詞」で一度に表示できるテキスト量は4000字と知って、全テキストを分割する際それを目処にして音声ファイルの方も編集した。mp3と共にtxtファイルで同じ箇所の文章もアップした。
ブラウザでココログのページ上でも視聴できるが、iPodに落として聴くとき
「斬られたさに」が一枚のアルバム、分割した各ファイルがその中の一曲で、それを再生する際に「歌詞」でテキストも同時に見られるようにしたかったのだ。

ブログを用いて音声とテキストを共にアップするやり方は自分でも気に入っていた。再開する際もこの形式を踏襲するつもりだ。特に古文など、国語教育的な効果を意識する場合は耳と目から同時に作品を鑑賞できたほうがいいと思うのだがどうだろう。

その後不本意ながら表現上の悩みに独りでは答えが見出せず、「斬られたさに」の終盤で更新は止めてしまった。

水城氏と現代朗読協会のことも知っていたものの、師事することまではまだ考えられなかった。
実際に御指導を仰ぐまでに二年近くを経たことになる。

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